Paris 2014 + 3

2014年に「パリに引っ越しました」(旧ブログタイトル)。3年目の私的メモ。

シャルリー・エブド襲撃事件の実行犯の10年前

ここ数日のパリは、私が知っているパリではない。暗澹たる気持ちになる。

私が目の前で流れる映像にショックを受けた事件はいくつかある。まず、小学生のときに起こった「地下鉄サリン事件」。難しいことがわからない年齢だったが、やはり周りの異様な空気だけは感じた。ニューヨークで起きた911は、夜のニュースで見た映像が信じられなかった。その後空路は大混乱となり、母親は出張から戻れなくなくなったこともよく覚えている。当時在籍していた公立高校は、初めての海外修学旅行を中止にした。

東日本大震災。まだその傷は癒えないが、ひとつ言えることは、惨事であったが、人が悪意を持って誰かを攻撃するのと、天災というのはまた種類が異なる恐怖だ。すれ違う誰かに疑いのまなざしを向けなくていい。「誰か」を憎まなくていい。(逆にそれが辛いのかどうかは、私にはわからないが…。)

 

外出する用事があり、地下鉄を使おうと思ったら駅の一部が封鎖されている。「不審物の疑い」でシャットダウンしていたのだ。その後ニュースになっていないので、おそらく「荷物の忘れ物」だったのだろう。翌日、また違う場面で、だが、同じ理由で地下鉄の運行が遅れているというアナウンスがあった。街のあちこちが緊張している様子が伺える。

 

7日のシャルリー・ヘブド本社襲撃事件、8日のパリ南部でのガソリンスタンドでの銃撃事件、9日にはそれぞれの犯人が人質をとって立てこもった。パリ郊外北東の印刷工場で、シャルリー・ヘブド本社襲撃の実行犯。パリ20区のユダヤ系食料品スーパーで、こちらが8日の発砲事件を起こした犯人。それぞれ独自に行動を起こしているものの、面識はあるらしい。フランスが誇るGIGN(対テロ特殊部隊)により、犯人は射殺された。


FRANCE - Porte de Vincennes-Dammartin : cachés des heures pour échapper aux terroristes - France 24

日本の夏の打ち上げ花火の最後は、数えきれないくらい打ち上げるけど、それくらいの発砲音が続く。ニューヨークにいるときには、銃社会アメリカだし、「どこかで巻き込まれても仕方ない」という諦めというか、そのリスクを受け入れて暮らす一種の覚悟のようなものがあった。フランスに来るときには、「テロのリスク」を意識したことは、ほぼなかった。

 

フランスはゆっくりと、そして確実に変わっている。シャルリー・エブド本社を襲撃した実行犯であるクアシ兄弟。(どうでもいいですが、この兄弟パリ10区の出身です…)弟のほうのシェリフ・クアシは、2005年にドキュメンタリー番組(撮影当時2004年)で、過激派に傾倒していく様子がフォーカスされている。シリア(ダマス)に向かう直前に、対テロ対策課により、逮捕され刑務所に収監。

しかし、それから10年の時を経て、今回の悲劇を起こしている。2011年には、イエメンでアルカイーダによる軍事訓練を受けたとされる。射殺される前に、彼らはイエメンのアルカーダにより派遣されており、資金提供もされているとテレビ局へ語っている。

私は彼らは、特別な存在ではないように思える。社会的に居場所を見つけられなかった若者が、一種のカルトに洗脳される。もちろん宗教問題というのはそうなのだが、その根底には何だか別の社会問題にある気がする。シェリフ・クアシは、なぜ…。


Paris Terror Suspect Shown in 2005 Film - Video - NYTimes.com(英語字幕あり)