Paris 2014 + 3

2014年に「パリに引っ越しました」(旧ブログタイトル)。3年目の私的メモ。

『美しいパリの街並』の原型

旦那と散歩していると、「オスマン様式のアパルトマンっていいよね〜。住みたいよね〜。でも高いよね〜…」と、時々つぶやきます。私は「古いアパルトマンのことだな」という、ぼんやりした理解しかしておらず、実は「結局、オスマン様式って何なの??」と疑問に思っていた。

 

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で、本を読んでいたら出てきました!オスマンのパリ都市改造計画(1850〜1880)って。これなんですね。この時代に作られた建造物をオスマン様式と呼ぶとわかってスッキリ。(もっと早くウィキして!って感じですが)

19世紀半ばまでのパリは、屋根から排水が流れ落ちるようになっていたり、生活環境・都市衛生は劣悪な環境だったところ、ナポレオン三世の構想を受けて、セーヌ県知事のジョルジュ・オスマンが、パリの大改造計画を断行して、大通りの設置、交通網の整備、街の緑化等が進められたと。

凱旋門から放射状に広がる12本の大通りが整備されたのも、この時代ならば、オペラ座(1875年竣工)もこの時代に建設され、いわゆる『美しいパリの街並』の原型は、この時代に始まったわけですね。(凱旋門からの大通り、数えたことなかったけれど、確かに12本ありますね。)

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同時に、道路幅に応じて建造物の高さを定めたり、屋根の形態、外壁の石材を指定して、景観に連続性を持たせた。この都市計画は、世界各国で都市建設のお手本とされるケースになったそうです。

ちなみに、オスマンのパリ都市改造計画は壮大すぎて、100年近く経った1960年にでさえ、パリ左岸の整備は未完で、特にサン・ジェルマン地区のレンヌ通り界隈の整備については、当時の首相による検討案件だったとか…。

 

何か知らなかったのは私ぐらいか?!と思うほど、他にもオスマン様式のことを書いている人はいっぱいいるので、このへんにしておきます。