自家製パスタ
忙しさにかまかけて、旦那が全く料理をしなくなってしまった。おいしいごはんが食べられるから、NYからついてきたのに。
そんな不満がつのっていたところに、2年前に購入してから、1回しか使ってないパスタマシーンの存在が目についた。
突然パスタを作ろうと思い立ち、BHVに走ってパスタマシーンを購入。勢いに任せて暑い日に作ったため、パスタがすべてくっついてしまい、なんだかよくわからないカタマリを食べるという悲しい結果に終わった。
それから2年。
この夏にパスタマシーンを使わなかったら処分する繰り返していたら、ようやく重い腰をあげてパスタ作り始める。
小麦粉、卵、水を混ぜ、30分ほど冷蔵庫で寝かせる。前回の教訓から、台所に熱がこもらないように気をつけ、くっつかないように細心の中心を払う。今回は驚くほど簡単にできた。
ちゃんとできると確かにおいしい。フレッシュな気がする。
10分でできるパスタを、1時間かけるかは議論の余地があるが。
パスタマシーンを処分するのは、次回のラビオリまで見送ってあげよう。
さて、夏休みです。
『MAGNUM ANALOG RECOVERY 1947 - 1979』展
キューバからサンフランシスコに向かう荷物から、一眼レフが消えた。それまで必ず手荷物にしていたのに、その時だけなぜかスーツケースに入れてしまったのだ。
そもそもキューバでも写真を撮りたいという意欲はあまり湧いてこず、重たい一眼レフがさらに重く感じられた。そういう後ろめたい気持ちがあったので、盗難にあったことも、どこかで納得してしまった。それを機に、一眼レフ熱は冷めてしまった。
それが3年前。
旦那には、何度か「また一眼レフ買わないの」と訊かれたが、今日まで適当に濁している。私が一眼レフを買った2006年から10年経ち、何か写真に撮りたければ、今は iPhoneとInstagramでコトは足りる。確かに望遠はないし、写真は平面的だけれど、重たい一眼レフを持って歩くより、ずっと楽だ。
一眼レフに替わって、トイフォトを買ったが、iPhone + Instagramと出来上がりは変わらない。自家製パスタとスーパーで買うパスタくらい、仕上がりに差はない。(自家製パスタを作った話は、また別の機会に。)
Place de Clicyから徒歩5分のところにある LE BAL(その昔は、ダンスホールだった場所らしい)で、『MAGNUM ANALOG RECOVERY 1947 - 1979』展が行われている。報道写真なので、時代の文脈とあわせて観ることで、ぐっと面白くなる。
ブタペストから戻ったあと、戦場も革命ももう撮りたくなった。(中略)
どんなにショッキングな戦争写真をもってしても、戦争はなくならない。革命写真を撮っても、革命の成功の助けにはならないし、妨げにもならない、ただ記録しているだけだ。記録することに重要性があるのかさえ、自分にはわからない。もし写真が世界になんの影響も与えられないのなら、記録する意味はあるのか。何も変えることができない記録は、意味のある記録と呼べるのだろうか。(レシング、1956)
おそらく多くの戦場カメラマンが同じような問いを持ち続けていたのではないか。そこには、報道写真、芸術写真とはなにか、考えさせられるヒントがあるような気がする。
キャパはかなり落ち込んでいるようで、さかんに写真は終わったと話した。これからはテレビの時代だと。(リブ、1954)
これは面白い、と思った。キャパはそんなふうに思っていたのか。
それなのに。
マグナムフォトは、結成から70年の時を経て今日に至るまで、特別な響きを持った写真家グループであることに変わりはない。
「終わったはず」の写真が、その輝きを失わないのはなぜか。
彼らの言う「写真」とは何か、私にとっての「写真」はなんなのか。
6 Impasse de la Défense, 75018 Paris
『記憶と光ー日本の写真(1950ー2000)』展
なんのキャンペーンなのか、パリのあちこちで日本にまつわる企画展がたくさん開催されている。マレにあるヨーロッパ写真館(Maison Européenne de Photographie、MEP)で行なわれている『記憶と光ー日本の写真(1950ー2000) DNP寄贈コレクション』展に行ってきた。
足を運んでから知ったけれど、これは全て大日本印刷が13年間にわたりMEPに寄贈してきた作品らしい。
DNPによるMEPへの現代日本の写真家の作品の寄贈は、1990年のパリ写真月間に開催された『両次大戦間の日本の写真』『日本の広告写真』というふたつの展覧会への協賛が契機でした。当時まだ開設準備中だったMEPから、日本の現代写真コレクションを設立することについて、DNPに対して支援要請があり、メセナ活動の一環として1994年から13年間にわたり継続的に寄贈してきました。そして、これらの作品は「DNP寄贈コレクション」としてMEPに収蔵されています。現在、フランスで現代日本の写真家による作品をこれほど多数所蔵している文化機関はありません。
(引用元/大日本印刷(DNP)プレスリリース)
私が名前を挙げられる写真家は多くない。荒木経惟、森山大道、植田正治くらい。
思い返せば、それまで作品を目にしたことも、名前を聞いたこともなかった植田正治の存在は、留学のためにパリに来ていた2008年に、このMEPで植田正治の回顧展が行われたことで知った。砂丘シリーズの世界観は、当時かなり新鮮に感じてとても惹かれた。いつか鳥取砂丘に行ってみたい、と当時も思ったけれど、今もそう思う。鳥取は意外と遠い。
そのほか、今回展示されているのは、荒木経惟、深瀬昌久、古屋誠一、畠山直哉、HIRO、細江英公、石元泰博、石内都、木村伊兵衛、松江泰治、宮本隆司、森村泰昌、森山大道、奈良原一高、柴田敏雄、杉本博司、田原桂一、土田ヒロミ、東松照明、山崎博。
本屋で見かけていた荒木経惟の写真は、SMやヌードが中心で、きちんと見たことはなかった。実は奥さんがいたことも、彼女が既に亡くなっていることも今回知った。
展示されているのは、奥さんの死を収めた『センチメンタルな旅・冬の旅』あたりが中心。もっと時系列で、彼の作品をたくさん見てみようかなと思った。
他にも何人か気になった写真家あったけれど、また別の機会にじっくり見てみたい。この企画展、8月27日で終わってしまうので、まだパリにいる方はぜひ。
『パリの日本建築(1967-2017)』展
私が二十歳くらいの時には、「結婚相手の職業にしいて希望を言うならば、建築家とかいいな」とぼんやり思っていた。
芸術系と理系を足して二で割ったようなところがいい。コンセプチュアルに物事を発想するセンスと実際に具現化するための現実的なアタマが必要なところがいい。アーティスト的な要素がありつつ、一般社会で生計を立てていけそうだ。
ついに建築家とは結婚できなかったなぁ、と『パリの日本建築(1967-2017)』展(Pavillon d'Arsenal/4区)に行きながら思った。
それにしても、パリで活躍する日本人建築家は多い、という印象だったけれど、それを全て見せてくれるような素晴らしい企画展。安藤忠雄、坂茂、妹島和世、藤本壮介など、新聞でも日本の建築家の名前を目にすることは多い。そのフランスと日本の建築の交流史を遡ると、1928年にル・コルビジュエのアトリエに前川國男、坂倉準三が学びに来るところまで遡るそうだ。(ちなみに私はこの二人の建築家は存じ上げませんでした。戦後に活躍した建築家だそう。)
1980年代頃から、日本人建築家はフランスのコンペに積極的に応募するようになり、1990年代初めに日本人建築家により大規模な建築が手がけられるようになる。丹下健三、黒川紀章、安藤忠雄が活躍するようになったのはこの頃から。
その後、日本建築の評価が高まるにつれ、坂茂、伊東豊雄、隈研吾、山本理研、アトリエ・ワン、SANAAといった世代が続く。
企画展では、実際には実現しなかったコンペ案から、これから実現予定の模型まで紹介されている。安藤忠雄をピノーに紹介したのラガーフェルトだとか、いつ開くんだ?と気になっていたグランマガザンをSANAAが手がけていると知ったり、とても楽しかった。今後、完成が待たれるのはこちら。
・Bourse de Paris(安藤忠雄)
・Mille Arbres / Réinventer Paris(藤本壮介)
・Grand Magasin Samaritaine(SANAA)
・Gare de Saint-Denis Pleyel(隈研吾)
パリ近郊で竣工しているのはこちら、近くを通りがかった時には少し立ち止まって見てみたい。
・Jardin de l'Unesco (1958/イサム・ノグチ) 今は一般公開していないよう。。
・Tour Pacific, La Défense(1992/黒川紀章)
・Grand Ecran(1992/丹下健三)
・Espace de méditation pour l'Unesco(1995/安藤忠雄)
・Nouvel hôpital Cognacq-Jay(2006/伊東豊雄)
・Restructuration du siège social de Sysla(2010/隈研吾)
・Autrement rue Rebière, logements(2012/アトリエ・ワン)
・Pôle multi-équipements Macdonald(2014/隈研吾)
・Seine musicale, Île Seguin(2017/坂茂)
すっかり満足して、帰り際には企画展の本も買ってしまった。辞書かと思うくらいぶ厚い。裏表紙には、プロジェクトのリストあり、中はビジュアルや対談が豊富。しかも全てフランス語と日本語併記。翻訳者の方の苦労が偲ばれて、思わず名前を確かめてしまった。(谷口円香さん、お疲れ様でした。)
結構高いんだけれどとてもいい買い物をした。
映画に行く友達がいない
パリはすっかり夏休みモードで、会社も今週に入ってゆるゆる。
Parc de Villeteでは、7月末から屋外上映をやっている。週末に行ってみたが、準備不足で場所取りがイマイチ。明るいうちからピクニックしながら待つというのが正しい楽しみ方のよう。今日は Délice de Tokyo(原題『あん』)だったので、張り切って行きたかったのに、一緒に行く人がいないという悲しい結末。
映画館なら一人で行くけど、屋外映画はどうだろう。傍目に見たら、さすがにちょっとかわいそうな感じになるのではないか。みんなが友達でワイワイ、カップルが肩を並べて来ている中で、一人というのは相当シュールだよな。
そんなことを考えていたら、もう22時。もう始まっちゃうなぁ。今日はおとなしくブログの更新をしよう。
#parcdevillette #cinemaenpleinair
タイトルを衣替えして再出発
何ヶ月ぶりかに自分のブログを覗いてみる。
昨年10月以降何もなかったかのようだ。「飽き性」の性格が如実に現れてしまっている。恥ずかしい。
目に止まった風景もその時々の些細な気持ちの流れみたいなものも、記憶からこぼれおちてしまい、もったいないなぁとは思いつつも、「パリに引っ越しました」というフェーズも過ぎてしまったし、しっくりこないなぁと、もたもたしていた。
パリも3年目という意味を込めて、「Paris 2014 + 3」として再出発。
20km de Paris
先週、20km de Parisに挑戦。故障することなく、歩くこともなく、完走できたことが地味に嬉しい。
振り返ってみれば、運動部経験も趣味のスポーツもなかった私が、5年ほど前に少し走り始めた頃には、3〜5kmも走れば上出来だった。途中、膝が痛む時期があり、走ったり休んだりを繰り返していたけれど、今年の初めに中敷きを作ったことで、ピタッと痛みが止まり、コンスタントに走ることができるようになった。
今年春に10kmランに参加したことに気を良くして、秋頃にも何かやりたいと思い立った。それで友達と参加することにしたのが、この20km de Paris。バカンス中は、景色も変わるので、ランニングに退屈することなく走れたのだけれど、9月はパリは寒くなるし暗くなるしで、かなりサボってしまったのでちょっと不安だった。
Pont d'Ienaからスタートして、凱旋門、Av de Fochを抜けてブーローニュの森を抜ける最初の10kmは6'30/kmペースで、時々話しながら、景色を見ながら走ります。こういうランイベントで、楽しいなと思ったのは、パリの観光名所や大通りを気持ち良く走れること。
10kmを過ぎると、後半戦はセーヌ河岸沿い(道が細くなって渋滞中)。エッフェル塔を見ながら楽しく走る。練習では、最高でも12〜13kmほどしか走っていなかったので、15km過ぎからは、未知の世界だなと思って、前半は抑え気味に走っていたのが良かった。
15km過ぎると、足が疲れているのを如実に感じ、「完走はできるけど、スパートをかけるのはきついなー」と、感じる事しきり。18km辺りで、旦那が沿道にいてくれたのが励みになる。
5kmごとのペースは32分、31分、30分、31分と割とコンスタントに走り、2時間4分で完走。やはりスパートは、気持ち程度しかできなかった。
今回のことで、また一つ楽しくなり、今年は冬も頑張って走りたいな、と思っております。12月に10kmを間に挟み、3月にSemi de Parisに参加したいと思います。