『MAGNUM ANALOG RECOVERY 1947 - 1979』展
キューバからサンフランシスコに向かう荷物から、一眼レフが消えた。それまで必ず手荷物にしていたのに、その時だけなぜかスーツケースに入れてしまったのだ。
そもそもキューバでも写真を撮りたいという意欲はあまり湧いてこず、重たい一眼レフがさらに重く感じられた。そういう後ろめたい気持ちがあったので、盗難にあったことも、どこかで納得してしまった。それを機に、一眼レフ熱は冷めてしまった。
それが3年前。
旦那には、何度か「また一眼レフ買わないの」と訊かれたが、今日まで適当に濁している。私が一眼レフを買った2006年から10年経ち、何か写真に撮りたければ、今は iPhoneとInstagramでコトは足りる。確かに望遠はないし、写真は平面的だけれど、重たい一眼レフを持って歩くより、ずっと楽だ。
一眼レフに替わって、トイフォトを買ったが、iPhone + Instagramと出来上がりは変わらない。自家製パスタとスーパーで買うパスタくらい、仕上がりに差はない。(自家製パスタを作った話は、また別の機会に。)
Place de Clicyから徒歩5分のところにある LE BAL(その昔は、ダンスホールだった場所らしい)で、『MAGNUM ANALOG RECOVERY 1947 - 1979』展が行われている。報道写真なので、時代の文脈とあわせて観ることで、ぐっと面白くなる。
ブタペストから戻ったあと、戦場も革命ももう撮りたくなった。(中略)
どんなにショッキングな戦争写真をもってしても、戦争はなくならない。革命写真を撮っても、革命の成功の助けにはならないし、妨げにもならない、ただ記録しているだけだ。記録することに重要性があるのかさえ、自分にはわからない。もし写真が世界になんの影響も与えられないのなら、記録する意味はあるのか。何も変えることができない記録は、意味のある記録と呼べるのだろうか。(レシング、1956)
おそらく多くの戦場カメラマンが同じような問いを持ち続けていたのではないか。そこには、報道写真、芸術写真とはなにか、考えさせられるヒントがあるような気がする。
キャパはかなり落ち込んでいるようで、さかんに写真は終わったと話した。これからはテレビの時代だと。(リブ、1954)
これは面白い、と思った。キャパはそんなふうに思っていたのか。
それなのに。
マグナムフォトは、結成から70年の時を経て今日に至るまで、特別な響きを持った写真家グループであることに変わりはない。
「終わったはず」の写真が、その輝きを失わないのはなぜか。
彼らの言う「写真」とは何か、私にとっての「写真」はなんなのか。
6 Impasse de la Défense, 75018 Paris