Paris 2014 + 3

2014年に「パリに引っ越しました」(旧ブログタイトル)。3年目の私的メモ。

涙なしでは語れない滞在許可証の更新

連休中に滞在許可証の更新に行ったと書きました。必要書類の情報がわかりにくいので参考までにまとめています。

 

 

先週はあまりにも興奮覚めやらなくて、むしろ書くとまた悔しさが蘇って涙が…というレベルだったので書けませんでした。

要は 本来は電話で確認すればよかったのだけれど、「この一般的なリストでいいのかな」くらいな気持ちで行ったら(←甘い)、当然ダメで、むしろ旦那同伴でなければいけないっていう基本も満たしておらず、大慌て。

何とか食い下がって、旦那も緊急召集。 9月に再予約という最悪の状況を脱し、書類も揃ってるし安心、というところで第二の爆弾投下。フランスで出た学校の卒業証書を要求されたあたりから、また雲行きが怪しくなりました。

 

「必要書類のリストにも載っていないんですけど」と反論するも、「私が必要と判断したら必要」の一点張り。また、「9月に予約取り直し」の流れになりかけて、「それでは困る。今日か来週に持って来るので」と応戦するも、「あなた(旦那)は大幅に遅刻するし、あなたの奥さんはさっきから感じ悪いし、私の時間をどれだけ取るつもりなの。嫌ならいいのよ。滞在許可証でなくていいのね?」と。

もう、もう、この時点で私は久々に火山噴火の勢い。文字通り、口元はワナワナ、手元は握りこぶしでブルブル震え、すごい形相だったことでしょう。旦那がとなりでお願いだから堪えてーという顔をしているのがわかるが。

「そもそも必要書類もきちんと公開できてないのに、どうやって旦那連れてきて、書類揃えられると思うんですか。その上、そのリストにも載ってないものを出せって、どうやって準備しろと? あなた、私たちがあなたの時間を奪ってるっていいますけど、反対ですよね? 最初から全て揃って情報が渡されていれば避けられることで、私がどれだけ時間取られて振り回されてるかわかってます?」と引き金を引いてしまった

行政機関・公的機関の窓口こそ、丁寧にお願いしなければいけないということは百も承知。が、私も譲れず、そっからダンマリ。代わって、旦那がとなりで必死の消火作業。「遅れてきたのに、対応してくれてありがとうございます」「足りない書類はどうしたらいいですか。9月じゃ困るんです。お願いします」と丁寧に辛抱強くお願い。

担当者も、旦那の対応で腹の虫が収まったのか「あなたの滞在許可証じゃないのよ。(横のビッチの滞在許可証なのに、そっちからはありがとうが聞こえないわ)」という嫌みを言いながら、「私からしたらNGだけど、上司はOKというかもしれないから待機して」と。待ちながら、私は悔しくて涙止まらず。何回こういうことで泣くんだろう。

 

気持ちよくコトが進むために、頭を下げたり、下手に出たりするなんて、あんな屈辱を耐えるほど、私は人間が出来ていない。ただ私がしなかったがために、結局は旦那に肩代わりさせただけだった。

旦那に「そんなことしなくていい」って言ったら、たぶん9月に回されて、余計に時間も手間もかかって、しかもそれまで雇用契約も新しいのが結べないという実害もあったと思う。そう思うと、私には意地を通すという選択肢はなかったわけで、頭を下げたくれた旦那に申し訳なく、本当に悲しくなった。(フランス人なので、そこまで大事に捉えてないけど)

 

最終的には、上席の人が出てきて「総合的にみて、滞在許可証を出すのは問題ありません。必要書類のリストについて、あなたの言い分はわかるし、10年以上サイトの更新を依頼をしているけど、されないのでどうにもならない。卒業証書さえあれば滞在許可証を出すので、来週半ばまでくらいに持ってこれる?」と、丁寧に対応してくれた。その日にもう一往復して提出。無事レセピセをもらいました。

 

やっぱり帰ってからも悔しくて泣いた。外国人てこういうことなんだなと。フランスにいる限り、こういうことでイライラしたら、生きづらいだろうなと思う。

来年あたりは、笑い飛ばせるんだと思う。毎回そうやって順応してきたし、泣きたくなかったら、そうやって自分が変わるしかない。どこまで諦めて、どこからは諦めてはいけないんだろう。

その夜、私を励まそうと串揚げに連れて行ってくれた旦那がいて、あー本当にこの人優しいなぁと。まあ、この人に免じて、多少のことは折れてやるか、と思ったわけです。